網走護国神社の祭られていた「七福神」



七福神の由来
網走神社の前身は又十藤野家の辨天社でこれを氏神として譲り受けた後に
厳島神社より全国唯一の御分霊社の認可を受け、茲に県北北見国の一宮と
なった昭和の始め、神社総代有志相謀い次の七カ所に七福神を創祉した。

一、辨財天 (桂ケ岡)     居串栄治
二、大黒天 (御野立所)   新谷順平
三、恵比寿天(最寄浜)    田邊村次
四、寿老人 (向陽ケ丘)   木下八郎衛門
五、毘沙門天(大曲明神山) 伊谷平太郎
六、布袋神 (不動山)     中川国蔵
七、福禄寿神(天都山)    林 好次

行程三里(十二キロ)を春秋二回集団で七福神巡りを行ったが当時年中行事
として名物であった。
戦後三十年、放置されたままになっているのを憂い、昭和五十六年六月十日
網走寿大学十五周年記念行事として護国神社境内に復元合祉したのである。

 石材彫刻者 藤原禎一
 工事責任者 森 英之

制作 網走寿大学十五周年記念事業
奉祭 網走七福神奉賛会

寿老人 恵比寿天 布袋神 弁財天
毘沙門天 大黒天 福禄寿神

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