2012年12月13日「北海道新聞」夕刊より | |
推古天皇陵説の奈良・植山古墳 | |
室入り口土でふさぐ | |
特異構造改葬後完全封印か | |
最初の推古天皇陵ともされる奈良県橿原市の植山古墳(6世紀末~7世紀前半)の石室 入り口が、分厚い土で入念にふさがれ、二度と人が入り込めないよう〝封印″されていた ことが分かり、市教育委員会が12日、発表した。他に例がない特異な構造という。 横穴式石室は通常、人頭大の石を積み上げてふたをするが、石を外せば出入りできるの が特徴。調査で石は確認されていないが、市教委は、同古墳も当初は石でふさいでいたと 推測した上で「被葬者を別の墓に改葬した後に石を捨て、役目を終えた特別な古墳を完全 に封印しようとした可能性もある」としている。 古事記によると、推古天皇は先に亡くなった竹田皇子と同じ墓に埋葬された後、現在の 大阪府太子町付近に造られた古墳に改葬されたという、市教委の推測どおりなら植山古墳 をを2人の最初の墓とする説を補強する材料になる。 調査では、石室入り口を埋めるため、幅10㍍以上、高さ4㍍以上、奥行き4㍍以上にわ たって土が盛られていたことが分かった。 また、古墳前面にある谷を士で埋め、広場のように造成していたことも判明。墳丘や広 場の土からは、竹田皇子のものとみられる家形石棺の材質と同じ阿蘇浴結凝灰岩の破片も 多数見つかった。大筋の加工を終えた石材を現在の熊本県から瀬戸内海を通って運び、造 営中の古墳の上で、最後の仕上げをした可能性があるという。 |
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